晴猫雨読

晴れの日には猫を追いかけ 雨の日には書に親しむ
「セイビョウウドク」な日々
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忘れられた日本人
 宮本常一 著 岩波文庫 84年5月発行

上司に借りた本第三弾(笑)。
宮本常一の名前は勿論知ってはいたが、手にとって読んでみようと思ったことはなかった。
「民俗学」、興味がないわけではないが何故か今まで縁がなかった。ジツのところ柳田国男すら読んだことがないのだ。
初めて読んだ民俗学の本。
これがもう抜群の面白さであった。

著者が昭和14年から27年ごろにかけて日本各地を歩き、農民・老人からの聴き取り調査を行ったものを昭和35年に出版したもの。
貧しく生まれた村から殆ど出ることもなく一生を終えるような人々の暮らしや、土地の伝聞。
著者が書き残さねば、間違いなく「忘れられた」であろう無名の人々の、現在とは全く違う日本人の暮らしが生き生きと描かれている。これこそが「民俗学」なのだな、と思った。

どれもみな面白いのだが、とりわけ「土佐源氏」は圧巻である。
網野善彦氏の解説によれば創作と疑われたとあるが、それもむべなるかな、本家「源氏物語」よりはるかに面白いと思った。
土佐の橋の下に住む80をはるかに越す盲いた乞食の女性遍歴。「人を騙すことと女をかまうことしかしてこなかった」という馬喰が「あんたほんとに女にほれたことがありなさるか」と問いかけてからの語りは物悲しく胸打たれる。
盲目の乞食に身を窶しても、どんな人にも生きる価値はある、誰にも人生という物語があるのだ、と感じた。

何時間も何日も全員が納得できるまで話し合う、寄り合い。そこんは意識せざる民主主義がある。
夜を徹して、時にカラダをかけて行う歌合戦。
田植えをしながらの女たちの「エロ話」。
業病を持つものが人里を避け山道を歩く、「盗人の通る道もあるのだから、カッタイ病の通る道もあるでしょう」と語る老婆。

また、昔の農村では「夜這い」が日常的に行われていたことも記されている。「性」がタブーではなく、奔放であったようである。結婚前の男女が交わることは普通に行われていたならば、結婚まで「貞節」「純潔」を守るという観念は一体いつのものだったのか?

宮本氏の独特の考えだろうか、ユニークだと思ったのは「文字を持たない伝承者は耳から聞いたことをそのまま覚え内容を変更しようとはしないが、文字を持つ伝承者は、耳で聞いただけでなく文字で読んだ知識が混入して伝承に訂正が加えられる」という説だ。
多くの人からの聴き取りを重ねた著者の偽らざる実感なのだろう。
これは「情報」が氾濫する現代に敷衍してあてはめることができる。“メディアリテラシー”を身につけていなけれあば、あふれる情報をつぎはぎに頭に仕入れ正確なことは何もわからない。いささか牽強付会にすぎる解釈だろうか。

私は「昔の日本(日本人)はよかった」的理論には全く与しないのだが、しかしこの本には間違いなく、現代を生きるわれわれが失った日本人の姿がある。

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東と西の語る 日本の歴史
 網野善彦 著 講談社学術文庫 98年9月発行

これも上司に借りた本。
何故にいきなり網野善彦か?
今年の神田古本まつりで手に入れた「日本王権論」(網野善彦・上野千鶴子・宮田登)が大変に面白かったので、歴史好きな上司に貸したところお礼にこの本を貸してくれたのだ。

日本単一民族説に一石を投じたといえる書。
アイヌ・琉球だけでなく、東日本と西日本とでも民族が違うのではというほどの差異があると次々と例示する網野説は非常に新鮮であった。
また、学校で習った日本史があまりにも西優位であったかに気づかされた。
なるほどと思ったのが平氏は「海の民」で船での戦には圧倒的に強いが陸上戦に弱く、また京にこだわりはなく、西国国家を作ろうとしていたとする説。西へ落ち延びたのでなく西国を作ろうとしていたとする説は興味深い。「西の海と船、東の弓と馬」に通底する。

ところで、この本でも西と東の文化の境界としてひかれるのはやはりフォッサマグナにほぼ沿っている。地層の割れ目…にすぎないはずが、何故文化にまで影響を及ぼすのだろう?
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ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界
 阿部謹也 著 ちくま文庫 88年12月発行

珍しくも借りた本。
会社の上司が読んでいたのを面白そうだったので拝借。
何故興味を持ったか…といえば、小泉政権の頃に小泉を「ハーメルンの笛吹き男」に擬える文言をよく目にしたのを思い出したからだ。
小泉の甘言に惑わされた国民は、取り返しのつかない場所へと連れていかれてしまった…という風に。笛吹き男について行ったハーメルンの130人の子供たちのように。

こどもの頃にグリム童話で読んだ「ハーメルンの笛吹き男」は、私自身の中でどう変換されてしまったのか、なんとはなしに「紙芝居屋」のようなイメージを抱いていた。拍子木を鳴らし自転車でやってくる紙芝居のおじさん、水飴に釣られついていく子供たち…なんとのどかな印象にしてしまったことか。
しかし「新自由主義」を甘い言葉に包みこんで、国民を誤った道へ導いた小泉はその印象にぴったりだった。
実際の「ハーメルンの笛吹き男」はどうだったのか?
童話なのか、実話なのか?

1284年6月26日、ドイツのハーメルンという小さな町から130人のこどもたちが失踪した―これは紛れもない真実のようである。
しかしそれが何故なのか、子供たちは何処へ行ったのかはナゾのまま。その後400年にも亘りドイツはじめヨーロッパ各地で様々な研究が為されたようだがどれも決定的ではなく、推測の域を出ない。
また、その時代の為政者の都合のいいように解釈もされ、混迷を深めたようだ。

著者は諸説を検証し、また13世紀のドイツの民衆がどのような生活を送っていたのかと言う視点から事実を探ろうとする。
結局のところ結論は出ない。
しかし時代背景を掘り下げていく中から見えてくる中世の民衆の暮らしの描かれ方に圧倒される。
そして著者の目線の低さに深く共感を覚える。
ドイツ・ヨーロッパだけではないだろうが、その時代の貧富の差、下層民とりわけ女性の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。現代の「格差」なんて…と思えてくる。
本書よりそのまま引いてみる。

『私たちは法制とか社会制度の整備、さらに市壁の立派さとか建物が堅固になったという、誰の目にも容易に見える事実に惑わされてはならない。こうした外面的繁栄の陰で呻吟している多くの庶民がいたからである。』

『中世社会は周知の通り身分制度社会であり、そこでは一般的にいって貴族に生まれたものは貴族として死に、乞食に生まれたものはまずたいていは乞食として死んだ。』

『「貧民が死ぬと、〔その人間についての〕すべては一緒に消えてしまう。生涯が暗かったように、死後も忘却のゆえに暗い』といわれるほどであった。死後に財産や伝記を残すのはいつの時代にも権力ある者であり、身ひとつをようやく支えて短い人生を、しかしかけがえのないはずの人生を送った貧民は、ある日倒れて貧民院へ送られ、名も知れぬまま葬られてしまう。』

『身にはボロを纏い、同年輩の女房などがそれぞれの亭主のことを自慢したり、こきおろしたりしている立ち話の横をうつむきながらも毅然としてするぬけ、男たちの好色のまなざしにさらされながら、子供の成長だけに一生の期待をかけていた彼女たち、こうした女性たちは無限に続くように思われる、昼と夜の交代をどのような心境で受けとめていただろうか。』

『夫を持たない彼女たちの頭のなかにはいつも次の食事の費用をどうするかということだけしかなかっただろう。朝のスープや簡単なパンの一片の、そして出来れば昼の粥の用意さえあれば、彼女たちは健康である限り満足して藁床で昼の衣服をかぶって眠りについたことだろう。そしてまた真黒になって働かなければならない朝がくる。』
 
『われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴させる華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足を引きずるように歩いていた無言の群衆を常に見すえていなければならないのである。』


当時の下層民の中でも最も蔑視されたいたのが賎民層で彼らは「名誉を持たない者」であったという。その職業は刑吏、墓堀人、皮剥人、捕吏、牢守、湯屋の主人、亜麻布織工、遍歴芸人、司祭の子、庶出子等…日本の中世・近世もそこは似ている。
そして「乞食」は貧民とは違ってひとつの職業として認められていた、という。専門的知識を必要とし、あらゆるトリックを使って気を引くまさに「芸術」であったという。乞食は組合をも結成していたというのだから驚きである。
賎民の中に「遍歴芸人」が含まれていることに笛吹き男のナゾをとくヒントがある。笛吹き男は遍歴芸人であったのだ。
130人の子供たちの失踪事件に当初の説では「遍歴芸人」はかかわっていない。にも拘らず、後に「笛吹き男」の伝説へと変節する。そこには賎民=悪とみなす差別する「学者」の存在があったのだと著者は断ずる。

「笛吹き男」の伝説は更に時を経て「鼠捕り男」伝説へと変貌していく。
そしてハーメルン市はその伝説を打ち消したり、観光資源としたり、翻弄される。
結局、「ハーメルンの笛吹き男」は誰だったのか、結論は出ない。
だがそんなことよりも、先に引用したような著者の目線、そしてそこから感じ取られる思想に深く共感を覚えた。それだけで十二分に読む価値のある本だと思う。

ところで…小泉純一郎は「ハーメルンの笛吹き男」なんかじゃない。これが私の出した結論。
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